常識を疑う
「常識でしょう」、「皆がそうしてるから」ってのはよく聞くお話。
学校行って、働いて、結婚して、子供産んで、老後を穏やかに過ごす。
その通りに生きても良いけど、違う道を生きても良いんだよ。
「自分と違う」というのは、人間心理で敵対意識を持たれることもある。
例えば人種差別や宗教間戦争。
そんな大きな規模でなくても、会社の派閥やイジメとかね。
でも歴史を振り返って見ると、人間っておかしなことしてるなぁーって思わないかしら?
魔女裁判て今の時代じゃ考えられないじゃない?
生類憐れみの令なんて、絶対発令できないじゃない?
昔やってた座高の身体測定なんて、「意味が無いとわかった」って何十年もやってたことを「無駄だった」と潔く認めて止めたんだよ。
人間って間違えるんです。
間違えて、それを正して、進化し続けているのが人間なんです。
今言われている常識も、何年後かには非常識ってなるんじゃないかしら?
本当に正しいのかしら?
だから、自分で考えよう。
「皆がそれをしているから自分もそうしよう」とか、「〇〇さんがコッチが良いっていうから、それを選んだ」とか。
相談して自分で決めるならまだしも、人の意見に乗っかって、上手く行かなかったら八つ当たりする人もいるとか、誰の人生なのかしら?
自分の人生は自分で選んで生きなさいな。
前述の通り、「人と違う」って行き方は、他者から批難されることもある。
けど、ソレが何?私は私の幸せのために生きるのよ!って強さも必要。
他者軸ではなく、自分軸で生きると、そんな批難も気にならないよ。
だって、他者は自分じゃないもの。
自分を幸せにできるのは自分だけ。
人のセイにしないで、自分自身で自分の人生に責任を持つ。
常識を疑うって、そういう事。